1927年8月
文芸解放社、萩原恭次郎はサッコ、ヴァンゼッティ釈放要求運動の中心となり、23日築地小劇場で抗議演説を行い米国大使館に押しかけ石川三四郎、新居格らと検束留置
同志に送る ヂオヴァニツチ 草野心平 訳
おれたちの愛が生きる戦ひを耐え忍ぶ間
おれの遺志の中の君が強い間
君の信念の中のおれが純血なあひだ
違ふ? すすり泣きや小唄ではない
二人が泣かなければならない時でも
おれたちは懐疑や絶望を知らない
幸福がおれたちの決勝ではない
行きつくまでの道程がおれたちのゴールだ
おれたちがやつてる事を仕損つて
再びそれを仕遂げる事が出来なくつても
そして侮られ疵つき死にかけても
おれたちは頑張るだらう 信ずるだらう
嵐の夜の後の
日の出はいつもより眩しいのだ
そして何もかも無くしてしまつても
君とおれと「夢」は残るだらう
全世界がおれだちに逆流しても
おれだちの瓦解が拍手されても
神の名によつて僧主共がおれだちを呪はふとも
人道の名にかくれて馬鹿共がおれたちを呪ふ
古い同志のすべてをおれだちが失はふと
おれだちの友のすべてが悪漢にならうと
そして首切りの赤いワナを引つ張らうと
おれだちを埋める墓を掘り手伝はうと
しかもおれは君に告げる
人間も絞首台も牢獄も
天国や地獄の力も
君と僕、おれだちをブチ敗かすことは出来ないだらう
(アルチュロ・ヂオヴァニツチはサツコやヴアンゼツチとアメリカに移民運動をおこした人です。)
掲載紙『自由連合新聞』二七号 二八年九月
サッコ、ヴァンゼッチ追悼演説会、二日一時(芝青年団会館で)
「私の死を諸君の深い流れの一滴にでも役立たしてくれ」サッコ
「私のこころは同志への愛情で満ち溢れている」ヴァンゼッチ
詩 [同志に送る] ヂオヴァニッチ 草野心平訳
アナキズム文献に掲載されたサッコ、ヴァンゼッチ関連記事 作成futei
『祖国と自由!』VOL.3 no.1 一九二七 September
サツコヴアンゼツチ両君の死を悼む
銘記せよ!! 一九二七・八・二三・サツコ・ヴアンゼツチ・は電気死刑にされた!
「噫! 吾等が同志ニコラ・サツコ及びバルトロメオ・ヴアンゼツチは逝きぬ。無政府主義者の闘士なりしが為に、彼等米国ブルヂヨアー支配階級の魔手に掛り、七年四ヶ月の牢獄生活に続いて一九二七年八月廿三日、米国マサチュセッツ洲デットハムに於て電気椅子に倒れぬ。
電気椅子に坐る迄 両君に関する世界の反響
一九二〇・五・五 同志サツコ、ヴアンゼツチ両君逮捕さる。
一九二〇・七・一四 米国マサチユセツツ洲デツトハムに於て、強盗殺人罪により両君死刑の判決を受く。
一九二七年四月 ドイツ、マグデブルグに於て無政府主義者大会開催され、両君救命委員会を組織す。基金五〇万円。
七・三一 全国黒色青年連盟は在日本各無産者団体と共に、国際弾圧防衛委員会を設立なし、以後各地各所で抗議運動を起す事となれり。
八・六 ニユーヨーク地下鉄道停車場四ヶ所に爆弾事件あり。死傷者二十一名。
八・七 ボストン、パリ、ロンドン、ミュンヘン、及び米国各地に示威運動あり数名検束さる。
八・九 ストツクホルムの労働者は大会を開催、両君死刑執行に抗議する決議をむなす。
八・二二 ゼネヴアに於て約五千の労働者は両君釈放の示威運動をなし国際連盟本部を襲い建物を破壊す。死者一名。負傷者二十五名。廿五名の主義者警察を襲ひ警察側発砲四名逮捕さる。
ロンドンの中心地、地下鉄道オールドウエツチ停車場にて爆弾五、六発爆発す。ニユーヨークの労働者十四万五千人は同情罷業を行ふ。
パリにて一千のタクシー運転手怠業し、仏国各地に同情罷業起る。
八・一〇 死刑八月二二日延期す。サクラメント劇場爆破された。損害五十万弗。
八・一一 サクラメントの加洲政庁の建物に数回の爆発起り、爆発後火災となる。消防夫三名負傷。損害約四十万弗。
ブルガリアの首府ソフイア駐在米国領事館に爆弾投じたる者あり死傷者なし。
八・二〇 パリ郊外で両君死刑反対の大会が二十個所開催された。
八・二二 ロンドンにて約一千名の同情運動者に深夜バツキンガム宮殿及びセント・ゼームス宮殿に向かつて助命示威運動を試みた。
ドイツに於て数千の群集が死刑反対の示威運動を行ひ警官と衝突し四時間の乱闘を継続す。死傷者多数。約百名検束された。
八・二三 両君、死刑にさる。
ニコライ・サツコ
彼は伊太利のトレマギイオールと云ふ美しい町の資産家に生れた。彼が渡米したのは十七歳の時だつた。二年間は不熟労働者として転々と職を変へた。其後靴工となり、ニューイングランドに於て優れた熟練工の一人に加へられた。八年間は真面目にミルフォード靴会社で働いた。彼の持つ非戦論の為め一時メキシコに隠れたが、妻子を思ふ余り四ヶ月して帰米した。彼は模範的な家庭の主としてマサチュセッツの伊太利人居住地の名物となつてゐた。彼は朝早く床を離れ、庭の手入をして草花をいぢり、一日中工場で働いて変えると、彼はささやかな家庭団欒を味ふのである。彼は講演や罷業の会合に出席したり、種々無政府主義の宣伝に忙しい日を送つた。彼の男の子に偉大なる詩人に因んでダンテと名づけた。第二子は彼が投獄されて時を経ず生れた。彼は故国の母の死去の報知に接し、老いたる父を慰めやうとした。十年間働いて貯蓄した金で妻子を連れて故郷に帰る事にして、旅行券を得へんがためにボストンの伊太利領事館に行った。其後三週間後電車内で逮捕された。
バルトロメオ・ヴァンゼツチ
彼は伊太利ヴイラ・フアルトオの古い家柄に生れた。彼は本質的に詩人であり純情家だつた。常に読書し思索し、又絶へず労働者の教育を忘れなかつた。彼が渡米したのは一九〇八年の不景気のドン底で、労働者は極度の困窮に落入つて居た。彼はニユーヨークの街路を飢えと寒さに震えながら彷徨した。彼は寒さを凌ぐ為に新聞紙を布いて、他人の家の入口で数晩を過した事もあつた。彼は容易に悲惨な移民生活に馴れなかつた。初めて就いた仕事は料理店の皿洗いだつた。彼は其後ニユー・イングランドに行つて数年の間煉瓦製造所と石坑内で働いた。ニユーヨークに再び帰り……後にプリマウスの鋼製造所で働いた。ストライキに於て活動し健康を害したので、彼は伊太利人町で魚売りを始めた。彼は常に労働しながら理想社会の宣伝を怠らなかった。一九二〇年五月五日、サツコと共に逮捕された。彼は云ふ「そして私は私の無名の名を社会改造と人類の解放のためにその身を犠牲にした信仰者の栄あるリストにつけ加へられるのを満足に思つて死につかう」と。
『黒色青年』一一号 一九二七年八月
米国法廷に於けるサツコ、ヴアンゼツチ両君の獅子吼を聴け
斯く死刑だけは免れて改めて無期のサツコとヴアンゼツチ
『黒色青年』一二号 一九二七年九月
サッコ、ヴァンセッチ問題と其の波動
全世界の視聴を集め、全労働者階級の猛烈な示威を捲き起こしたサッコ、ヴァンセッチ両君の死刑執行は、口惜しくも八月二十三日の夜半、民衆の激怒と陰惨な凝視の中に執行されてしまった。この姑息にして横暴極まる米国政府に対して、たとえサッコ、ヴァンセッチ両君を葬らるるとも、踏み躙られた全世界の民衆はこのまま忘却はしないし、米国政府の弾圧に対する反抗運動は向後も猶猛烈に継続されるであろう。全国の労働者階級諸君! ××と破壊をもって報復したる吾等の祖先の行動を想起せよ。
日本
…「サツコとヴアンセツチを救へ」の世界的モツトーの下に、九州、関西、中部、東海、関東、北海道等全国に黒旗を掲ぐる我が黒色青年連盟は、凡ゆる機会凡ゆる場所に火の如き運動を続けて来た。
本年二月、始めて米国の同志より飛報に接し事件の真相を知り、同月十三日抗議文を携へた連盟員十数名は折柄の風雪を衝いて米国大使館に至り、大使に面会を要求したが不在の為要領を得ず引返した、日を置いて三月十六日、前回にあきたらざりし同志十数名は再挙同大使館に殺到し、急報に依り駆けつけた日比谷署員の為、遂に検束騒ぎ迄も惹起するに至った。
国際的抗議運動の行われた七月三十一日には東京市外碑文谷に於いて、又、八月十一日夜は神田基督教会館に於いて両君の釈放要求演説会を開催し、その間、ビラに、ポスターに、又凡ゆる会合に全国各地に散在する我等黒色青年の抗争は、死刑の日の近づくに従ひ、犬供の圧迫が峻厳になればなる程益々猛烈に続けられて来た。
而して世界的に高まり来つた死刑反対の声にヘキエキした米国特権者共が延期に延期を重ねた最後の日、八月二十一日夜我が黒色青年聯盟他十余団体主催、国際弾圧防衛委員会の名の下に、築地小劇場に於て最後の大演説会が開かれた。
開会前より殺到した聴衆は正七時司会者が開会の辞を述ぶる頃には既に、場の内外に溢れ、此の勢ひに狼狽した官憲共は、後から後から押し寄せる群衆を追ひ返すに汗だくとなり附近住民の哄笑と反感を買つてゐた。殺気は会堂に満ち、弁士の熱弁と聴衆の意気は火の如く燃え、中止に次ぐ中止、その度毎に演壇横の大道具部屋に犬共の上づつたざわめき。鉄拳は唸り、箱は飛び、黒色の渦は巻く。遂には聴衆席よりも数名の検束者を出すに至つた。
六十名の予定弁士の中未だ二十名も余してゐたが、弥が上にも高まり行く場内の気勢に逆上した臨官が解散を命ずるらしく見へた刹那、早くも司会者は壇上に飛びあがり「俺達の運動は此の小さい場内のみに終るべきでない、街頭へ…」と叫びながら群がる警官隊に取囲まれるや、熱狂した七百の聴衆は総立ちとなり内外より起る万歳の声と共に「大使館へ、アメリカ大使館へ」と連呼しつつ怒涛の如く溢れ出づるに、血迷つた犬共は逆上自失の末、会場出口に於いて抜剣してマゴマゴする様な醜態をさへも演ずるに至つた。此の夜、昨春の銀座事件にコリゴリした官憲は物々しくも武装せる犬共をもつて銀座街頭を固め、為に一流のカフー商店等は驚愕の余り、未だ宵の九時過ぎなのに大戸を下してさへしたといふ。尚、大使館に押し寄せた一群中からは日比谷書に十数名会場及び場外よりは築地署に二十五名の検束者を出した。……
ニューヨーク
八月六日 地下鉄道停車場に四箇所も爆弾が飛び…
八月九日 ストライキが開始十四万五千の労働者は午前中に作業を止め七十五万人が三十ヶ所に会合し、四万の犬共は装甲自動車と機関銃で万一を用意す
ボストン
八月七日 一万の救命運動者は市内各所に集まり…
フィラデルヒア エムアミエルの長老派教会に爆弾飛び、ボルチモアにて市長の邸宅が爆破された。
リール(フランス) 労働者は米国領事館を取囲む。
パリ
八月七日には抗議大示威運動を起し、八日にはフランス全国を通じて二十四時間のゼネラルストライキを決行す。パリ市内にてはその日、タクシーは四分の一以下に減じて、運転手一千名のサボタージュがなされた。二十日の午後は郊外二十ヶ所に大会が開かれ何れも大々的に反抗運動の気勢を挙げ、ル・アーヴルの会場では警官の愚より大衝突を起した。
二十三日には二十五名の一群は警察署を襲撃、発砲し四名就縛され、尚二万の群集は大通りに集合し警官と大衝突し、踊り場、ムーラン、スージュを始め、街上の自動車を破壊し、又、自動車除け柵を街頭に造つた。千九百二十一年のメーデー以来の猛烈さであつたといふ。
スエーデン
八月十一日、大示威運動あり、二十三日、ストツクホルムとゴールデンブルグに於いて更に大々的に繰り返された。
南米 ブエノスアイレスにゼネラルストライキあり、爆弾は二ヶ所に飛ぶ。
イギリス
八月十日夜、ロンドンで示威行列があり、二十二日夜は大集団がハイドパークよりアメリカ大使館へ行く途中、バツキンガム宮殿前で犬共の為にさへぎられた。
スイス
八月二十二日国際連盟本部を襲撃し、全部の窓を破壊し米国運送会社事務所、米人自動車車庫等をも破壊した。…
ドイツ
数千の群集は警官隊と衝突し、四時間に亘る街上の大乱闘の末百名以上の検束者を見た。
全世界の黒旗を動かした此の抗争も効なく、暴虐極まりなき米国政府の狂悪無惨なる恐怖政策の為に、遂にサツコとヴアンゼツチの両君は虐殺された。だが、黒旗は進む。殺されたる同志の血汐に益々黒は輝き尊犠牲の屍を踏み越へて、俺達の日の来る迄、凡ゆる障害物を粉砕すべく俺達の旗黒旗は進む。
『自由連合新聞』一五号 二七年八月
サッコ、ヴァンゼッチの死刑は一ヶ月延期
『自由連合新聞』一六号 二七年九月
全世界を挙げてサッコ、ヴァンゼッチ釈放要求運動
自由連合の抗議運動も空し 遂に死刑は執行さる
『自由連合新聞』一七号 二七年一〇月
関西自由連合、定期例会 八月二五日
同志サッコ、ヴァンゼッチ二君の救命運動に関する経過報告
大阪機械技工組合、定期例会 八月二五日
同志サッコ、ヴァンゼッチ両君の釈放運動に関する経過報告
関東自由連合、緊急協議会 八月二六日
サッコ、ヴァンゼッチ問題の善後策、同じく経費の許す限り演説会開催の事
江東自由労働者組合、定期例会 九月三日
サッコ、ヴァンゼッチ死刑に対する抗議運動の経過及其後の対策
『自由連合新聞』一八号 二七年一一月
関西紡織労働組合、定期例会 一〇月一日
サッコ、ヴァンゼッチ両君の死刑執行に於ける感想、
旭川純労働組合、八月一五日 臨時協議会
サッコ、ヴァンゼッチ両君の釈放運動に関する件
八月二一日サッコ、ヴァンゼッチ両君釈放運動、ビラ撒ポスター貼をなす
『自由連合新聞』二二号 二八年三月
全国労働組合自由連合会第二回大会提出議案
アメリカ製品ボイコットの件(大阪印刷工組合)…同志サッコ、ヴァンゼッチ両君を暴力にて電気死刑台に上せし米国政府を糾弾し及同国製産品の不買同盟を決議す。
『自由連合新聞』二七号 二八年九月
サッコ、ヴァンゼッチ追悼演説会、二日一時(芝青年団会館で)
「私の死を諸君の深い流れの一滴にでも役立たしてくれ」サッコ
「私のこころは同志への愛情で満ち溢れている」ヴァンゼッチ
詩 [同志に送る] ヂオヴァニッチ 草野心平訳
(アルチュロ・ヂオヴァニッチはサッコやヴァンゼッチとアメリカに移民運動をおこした人です)
『自由連合新聞』二八号 二八年一〇月
警察網を完備し恐怖政策を強行、集会禁止、理由なしに監禁全土に弾圧加はる、追悼集会も開会直ちに解散、滑稽な銀座の警戒ぶり、サッコ、ヴァンゼッチ追悼演説会
『自由連合新聞』三〇号 二八年一二月
果然、ヴァンゼッチは冤罪であった 故意に死刑にしたのだと真犯人が立証する
『自由連合新聞』三七号 二九年七月
電気椅子で死刑にされたサッコ、ヴァンゼッチの記念日を再び起って三人の同志を救へ!
『黒色戦線』二九年七月号
勇敢な婦人ローザ・サツコ
『自由連合新聞』三八号 二九年八月
想起せよ! 虐殺された同志を=サツコの手紙
『黒色戦線』二九年八月号
詩「サッコとヴァンゼッチ」イスラエル・カスヴアン
三周年を迎へて サッコ・ヴァンゼッチを想起せよ! 事件の真相
『自由連合新聞』四九号 三〇年七月
牢記せよ サッコ、ヴァンゼッチの死を無駄にするな!
ドル資本の手先に無実の罪で殺されたのだ
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