第一夕暮れの詩1 のコピー

<第一夕暮の詩>

彼が好むやうにおれもまた好むのではない

「煙と鐡」の詩人が市俄古で愛した赤銅色の夕暮が

此處にも流れてゐるから歌ふのではない

おれは煤煙の故にではなく

煤煙の中に生きてゆく故に八王子子安町を愛する

汽關庫と操車場と

刑務所と屠殺所と

古い紐育スタンダート石油會社出張所倉庫と

繭乾燥所と

西へ神奈川縣横濱への道路と

ぼろほろなそれらをこの町は持つ

そしてそれらが呼吸するために生きる

ぼろぼろな子安町が今や暮れてゆく夕暮に

おれは貧乏な友達からの手紙を讀む

窓を閉ぢもう一度開け空を見てから閉ぢる

已に薄暗くなつた外へ出る

むれ蚊のやうに天へ向つて喚く子供

我鳴つてゐる女達

しかも風はこの狭い町裏へも容捨なく吹き込む

「下水問題及び屠殺場移轉反對」のビラを剥がす

しかもビラは追ひかけてゆく野良犬によつて引裂かれる

しかもおれは委細お構ひなしに歩く

踏切を越えて街へゆく

銀行や會社や市廰や郵便局やガタガタ走つて行く「乘合」の街へ

それから歩き乍ら肩をあげておれは怒鳴る

「東京のゴロツキ ! 」

また子安町の夕暮に

くたびれたおれは夕刊を讀む

石油のにほひは一層おれを刺激する

孤獨といふことに就てはフイリツプも言つてゐたやうだ

彼が小説に書いた造化工の娘は淫売になつて病院へ入つてからどうなつたらうか

だがおれはそれより八王子の娘達に就て云ほう

警察の風紀係が取締る「誘惑され易い」彼女達に就て

新聞は彼女達を「織姫」の名で呼ぶ

「五千人が解放され羽摶し化粧して出て行つたと報道する」

事実おれは第一日曜の夜に

町に溢れる若い女の群れを見る

活動寫眞館に飲食店に

そしてそれらが再び深夜の道路に吐き出される

渦巻いてながれる

彼女達は始終何かを求める眼付きで落付きのない憂鬱さで

また疲勞のための興奮にざわめき笑ふ

乾いた聲で

彼女達の中の一人が男と蔭れる

數十人が揶揄し拍手して見送る、そしてやがて獣る

公園の夜の廣場の暗さと

町から離れる織物會社への道の暗さと

それゆえに彼女達は再び口をつぐむ

寄宿舎の電燈と壁と

その胸に「明日」がぼんやりと影をつくる

だがおれは板圍ひの粗末な工場の中で

また煉瓦積の頑丈な工場の中で

常に歌ってゐる歌聲をきく

それは時に稍粗暴にまた悲しく

しかしそれは胸を掻きむしる調子ではない

それは拙く平たい流だ

そして五月には彼女達はたゞ生理的にのみ歌つてゐるかのように感じられる

おれは彼女達を不幸とは思はない

おれは晝休の三十分を遊びにゆく彼女達の顔に若葉のかげを見る

その白い工場衣の下に萠えてゐるものを知る

その白つぽい髪にめいめい挿してゐる何かの花の一輪を見る

また規則のきびしいところにゐる者が裏門や柵の所へ行くのを見る

そして其處から外を眺めてゐるのを

また塀によりかゝつてみんなで流行唄をならふのを、大勢で一人の手紙を読むのを──

一人の男がおれに云ふ

「君は彼女達の掌を見たか ?  織機の鐡に把手で固くなつてゐる掌を

それから彼女達が情人に工女であることを隠すために腐心するのを」

だがおれはその男に唾棄する、そして云ふ

「不幸なのは君だ彼女達ではない、けつしてない ! 」

だがおれは一體何を言ったのだらうか

おれは子安町の夕暮れの中にゐて夕暮れの詩を書かうとするのだらうか

詩はここに無い

ここに在るのは俺だ

おれは浮浪人ではない

おれは子安町の裏口に窓を持つ一人だ

おれの胸が子安町の煤煙を呼吸する

おれの眼が子安町の煤煙を見る

米を磨ぐちいさな娘や洗濯するお婆さんや中風病の老人や

よたよたな子供が其處らへ遠慮なしウンコするのやまた酒癖のよくない亭主が女や子供を

 殴りつけるのを見る

だが此處に偽善はない

賤しむべものは賤しむことそれ自體だ

嘲ふものは嗤はれるもの

だからみろ暮れてゆく煙の中の子安町を

暮れてゆく煙の中の子安町に生きるみんなを

おれは黙る

そしておれはまた黙つてけふの夕暮も窓を閉ぢる

窓を閉ぢもう一度開け空を見てから閉ぢる

限りなく愛するもののためにおれは涙ぐまされる

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